【江戸の高齢者】「ご隠居」にはなれなくても……

  1. 年を取る不安
  2. 江戸時代の寿命と隠居生活
  3. 老人の経験を超えてしまった「時代の進歩」
  4. 可愛い年寄りをめざして

年を取る不安

わが父は一人暮らしですが、一人娘であるわたしは目と鼻の先に住んでいます。
まさに「スープの冷めない距離」というやつですが、ここ数年足腰が弱ったうえに、今年に入って大腿骨の骨折をし、ますます目を離せなくなった父を抱えて、わたし自身、正直身動きがとりづらい日常です。
また、父の介護を通して、子どものいない自分は老後どうなるのだろうかという不安も大きくなってきました。
そうでなくても、社会の風潮として「年寄はお荷物」「年寄のいうことは老害」とみなされる昨今、いずれ身よりもなく一人で世の中に取り残される自分は、かなり心細いなと感じます。
わたしの祖父母などは、60代から結構悠々自適の生活でしたが、あれから半世紀たって、社会はすっかり様変わりしました。
そこで、ふと考えたのです。
祖父母の時代よりもっと昔には、老人たちは、どんなふうに暮らしていたのだろうか、と。

江戸時代の寿命と隠居生活

そもそも、江戸時代の人々の寿命ははどれくらいだったのでしょう。
結論から言えば、17世紀の平均寿命は30歳。
19世紀でも30代後半でした。
そんなに短いの⁉と驚かれるかもしれませんが、この平均寿命は、赤ん坊の時に死んでしまう場合も含めてですから、実を言うと、無事成人してしまえば、江戸時代にも70歳くらいまで生きる人はそこそこいたと言います。

かの松尾芭蕉は、享年50歳、井原西鶴は52歳です。
「人間50年~♪」の時代ですから、西鶴などは「浮世の月 見過ごしにけり 末二年」と、2年余分に生きて月見をしたと辞世の句を詠んだそうで、
「若き時、心を砕(くだ)き身を働き、老いの楽しみ早く知るべし」
と『日本永代蔵』には記しています。
若い間に身を粉にして働いて、早々と隠居生活を楽しもう、というわけです。
江戸時代には、既に高齢化が始まっていたそうで、70~80歳という長寿もちらほら。
貝原益軒も「長生すれば、楽(たのしみ)多く益多し」と『養生訓』に記しています。

とはいえ、80歳まで生きるとなると、江戸時代とて老後資金が必要です。
息子夫婦と同居するか、仕送りしてもらうか、あるいは、そう、「年金」です。
随筆『翁草』の著者・神沢杜口のように、人生50年の見込みで40歳過ぎに隠居、それがたまたま長生きした結果、40年以上もの隠居生活となった人もいますが、かれは 町奉行与力家のご隠居なので、幕府から「年金」的な禄を食んでいました。
悠々自適の老後生活、実にうらやましいですね……。

老人の経験を超えてしまった「時代の進歩」

70~80歳の人もそこそこいた、と書きましたが、そうは言っても今とは全く違います。
江戸時代半ばから現代にいたるまでのおよそ220年間、全体からすれば長寿者の数はほんの一握り。
現役世代が長寿者を支える負担や義務は小さく、だからこそ皆、心のゆとりを持って高齢者の長命を祝うことが出来たのでしょう。

また、昔の老人は、それなりに頼りにもされていたのです。
もちろん、肉体的負担の大きい労働などはできませんが、揉め事の仲裁などでは、大いに力を発揮しました。
人生経験が豊かで、しかも、現役の働き手たちと違って社会の生々しい利害関係から距離を置いている老人は、神仏に近い存在と位置付けられ、尊重されたのです。

ただ、江戸時代には文字が普及したことで、それまで老人が担っていた口伝えでの伝達の値打ちは下がりましたし、さらに明治以降にはまったく新しい科学や技術が老人の知識を凌駕していきました。
このあたり、現代とも少し似ていますね。
平成以降、ITの普及によって、業務内容、労働形態ががらりと変わり、そのため、昭和の知識や経験が役に立たない場面が増えてしまいましたから。
昔なら「今どきの若い者は」なんて言って煙たがられても、それなりの威厳を保っていたであろう老人ですが、今は昭和の知識が役立たないうえに「今どきの……」なんて口にした日には、「老害」と罵られるのもある意味しかたがないのでしょうか……。
たとえ実務の上では役に立たなくなっても、老人の知識や経験が生きる場面もあると思うのですが、老人のほうもすっかり萎縮して、依怙地になっているような気がしませんか?
そろそろ「高齢」に片足突っ込んでいるわたしとしては、なんとも切ない気分にさせられます。

可愛い年寄りをめざして

昔のように、名主だの、大家だのといった人が年寄の面倒を見てくれるわけでもなく、五人組だの隣組だのといったご近所が支えてくれるわけでもない現代、江戸時代の「ご隠居」がうらやましくもありますが、当時とて生活の不安なく暮らせた高齢者はほんの一部だったのでしょうね。
だからこそ、せめて当時のように、周囲から尊重される存在としてのお年寄りには憧れます。
何の取柄もなく、貯蓄もなく、大した経験や知識もなく生きてきてしまいましたが、人として「長く生きた分」豊かな心を周囲に示せるようになりたいなと思います。
「ちょっぴり尊敬されたり、可愛がられたりする年寄」を目指して、老父の介護をしながら、さらに人生経験を積んでいくとしますかね。

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