シネマ歌舞伎『野田版 桜の森の満開の下』

日本が誇る文化のひとつに歌舞伎があります。
敷居が高いと感じる方は、まずシネマ歌舞伎などはいかがでしょう。
映画館のスクリーンで臨場感たっぷりに楽しめます。

シネマ歌舞伎『野田版 桜の森の満開の下』は、2017年8月の上演を編集したもので、2019年春に公開だったようですが、わたしは今回初めて鑑賞しました。
実はわたしは3年前に、舞台『極上文学 桜の森の満開の下』を鑑賞し、その折に坂口安吾の原作も拝読して、その世界にどっぷり浸かりました。

〇『「桜の森の満開の下」の世界をひろげる

今回、『野田版 桜の森の満開の下』を観るにあたり、野田版についての情報は一切目に入れず、どんなアレンジなのだろうかと期待に胸躍らせました。
そして、鑑賞…。
正直、「あれ?これは『桜の森―――』?」と最初は戸惑いました。
冒頭こそそれらしい描写がありますが、すぐに別の物語がミックスされているのだと気づきます。
坂口安吾の『夜長姫と耳男』。
物語は、原作の『桜の森―――』とはまったく別の、『夜長姫と耳男』のストーリーにそって進んでいきます。
そして、さらに天智天皇の時代に設定し、大海人皇子のクーデターを絡めてゆくのです。
「飛騨の匠」「天智天皇」「大海人皇子」などといったワードこそ散りばめられていますが、実際の「飛騨」でもなければ、実際の「壬申の乱」でもありません。
まったくの異世界。
鬼が鬼門のあちらとこちらを行き来するファンタジーワールドです。
劇団☆新感線の『髑髏城の七人』や、いのうえ歌舞伎『阿弖流為』などもそうですが、時代や人物、場所などを歴史上の事物から借りてはいても、それがファンタジー、全くの御伽噺だと一見してわかる作品になっています。
別物だと承知させつつも、その時代そのキャラクターを想起させることによって、最低限の時代設定、人物設定を説明する必要がなくなるというメリットを感じます。
「オオアマ」と名乗らせることで、おや?この男はもしや…と思わせ、その瞬間、なんとなく時代設定も胸にストンと落ちる―――。
もちろん、実際の歴史どおりの世界ではないのですが、逆に史実による先入観を裏切る設定や展開であることが面白いわけです。

そして、やはり上手い、と唸らされるのは中村兄弟や幸四郎。
勘九郎の父親譲りの愛嬌や庶民臭さと主人公らしい凛々しさ、幸四郎の色悪めいた魅力、そして、七之助の美しくて愛らしくて妖しい幅のある演技。
中でも目を引くのはやはり七之助演じる夜長姫です。
プロローグでの深い謎を秘めた不気味な声音、そして夜長姫のあどけなさ、無邪気な残虐性と、それでいながらどこか悟りすましたような一面。
夜長姫をいまどきの一言で言い表すなら「サイコパス」なのだろうけれども、もっと無垢で透明で清らかな感じがしてしまうから不思議です。
1970年代前半に、わたなべまさこ著『聖ロザリンド』という漫画がありました。
天使のように美しく愛らしく無垢な少女ロザリンドの、生まれ持った残虐性が猟奇的な事件を引き起こしていくのですが、夜長姫はまさにロザリンドそのものでした。
ただ無邪気に、善悪の区別を超越した残虐性は、決して夜長姫を穢すことはありません。
清らかで明るく無垢な笑顔のまま、普通の人間が顔を背けるようなことを平気でやってのけ、そのあとはもう、すぐに関心を失う―――。
夜長姫にとって、当たり前の常識や倫理の枠にはまったものなど、何の彩りもない退屈なものなのではないでしょうか。
人が生と死の狭間で死に物狂いになっている姿だけが、夜長姫の心を動かすことができるのです。
必死でもがく人間だけが生きて輝いて見え、夜長姫にとって興味深く感じられる―――。
夜長姫は、無垢な心のままに、断末魔の面白さを求め続けていたのかもしれません。
そんな夜長姫に、反発し、惹かれ、怖れ、それでも飲まれずに抗おうとする耳男は、姫から見てもなかなか稀有な存在だったのかもしれません。
そんな耳男にだからこそ、命を絶たれるその今際の際に、夜長姫はどこか満ち足りた様子でいられたのではないでしょうか。
「好きなものは、咒うか殺すか争うかしなければならない」
と、夜長姫は言います。
つまり、それだけの気魄、鬼気迫る執念がなければ、輝くことはできないのだと。
ほんとうに欲しいものは、それくらいの覚悟で挑めということでしょうか。
凡人にはなんとも耳の痛い話です。

原作の『夜長姫と耳男』は飛騨の長者屋敷を舞台にした短編ですが、野田版はそこにオオアマを絡めることでスケール感を持たせ、さらに外枠としての『桜の森の―――』で耽美的な妖しさ、恐ろしさを醸し出しています。
命ぎりぎり、狂気すれすれの輝きを愛した夜長姫と、短い盛りを狂ったように咲き誇る桜。
生き急ぎ、咲き急いだ女と花。
耳男はそれに翻弄され、己もまた狂気に圧し潰されそうになっていたのでしょう。
恐ろしくも切ない物語ではありますが、野田版では前半で鬼たちの愛嬌がふんだんに盛り込まれて賑やかに楽しませてくれます。
正味2時間15分ほどの上映時間ですが、あれよあれよという間に観終えることができました。
ちなみに、わたしの好きな片岡亀蔵さん、坂東彌十郎さんも、大活躍でしたよ。

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